院長のおいたち |
立ち上がりは緩くとも、コツコツと大変粘り強くNEVER GIVE UP! 決して土俵を割らない男でした。 |
団塊の世代の後続部体で生まれました。 学校の成績は不思議と悪くはなく(?)華やかさはないが、いつの間にやら上位に喰い込むタイプでした。競馬で言うと、正面第3コーナーを回ってから一気に追い込み走る抜けるるタイプの人間です。 別の表現をすれば、長距離でいう最終の37キロぐらいの上り坂から一気の爆発!です
父としても家業を譲り、人生をある意味で謳歌して「ゆうゆう自適な左うちわ」の構想を描いておったようです。実に勤勉実直な父で、正直者で、曲った事が大キライ・・・、酒も飲まない・・・、たばこも吸わない・・・、勿論女性の噂などロイター共同通信(?)でも聞いた事がありません。 |
歯科医を志す経緯… |
私は小さい頃から機械いじり、プラモデル製作が大好きで、特に「戦艦大和」のあの細かい作業をしていると時間を忘れてしまう程でした。 ただ、家庭でのコミュニケーションやら、TV等も余り見ずに育った為か、国語・社会は大の苦手科目でした。(数学・物理・化学は得意でした。)
父の家業を継ぐには、文系の科目が達者でないと大学すらも入れない状況でした。高校生になり英語は得意で塾講師を目指していましたが、両親の反対に合い、私は今なら誰が何と言おうと、・・・の精神も持っていましたが、昔の人間の感覚で父の意向、両親に逆らうなんて天皇に逆らう様な物だとの思いで断念しました。
しかし努力不足で国語力特に古文などは「あれで日本語?」ってな感じで、古文の時間に数Vをやっていました・・・(ごめんなさい・・・当時の先生・・・)数理英の3科で勝負して運良く私立の医大は合格しましたが、どうしても国立の医学部には届きませんでした。 息子はある意味父のリベンジでしたが・・・ 生涯現役を目指し、さらなる研鑽を積んでいきたいと 思います。 皆さんよろしくお願い致します。 |
歯科医師になってからは… |
歯科医師になってからは、医学界は非常に古い仕来りのある所で、正に当時は従弟制度花盛り(?) 「なにをぐずぐずしてるんだ!早くやれ!」 「スカートを履いて水でも吸ってろ!」 ここで座右の銘「臥薪嘗胆」がでる。 いま思えばこの時の捨て身の食らいつきの精神と技術が 大いに役にたったといえましょう。 |
開業医になり… |
ある材料屋さんの紹介で、閉院したテナントビルを居抜きで買いスタートしました。 しかし、配管はボロボロ・・・、エアコンは故障・・・、はたまたチェアーは一台潰れていて、大変な苦痛の日々でした。 しかし、すべて確かめないが自分の敗因と考え、「医院を経営するとは、学技では教えてくれないし、大変な事である」との再認識を致しました。 支部会への入会も、この世界にはこの世界の道筋がある事を、全く理解せずに同業の諸先生方には大変ご迷惑をお掛けしました。
そうこうして、世はバブル全盛期「イケイケドンドン」でした。売り上げは右肩上がり!銀行からは「どうですか?利殖の為にゴルフ会員権はいかがですか?」「金はどうですか?今は底辺ですよ〜!」「株式なら●●が狙い目ですよ!」・・・人間足元が見えないというのは、非常に恐ろしい事です。 バブル崩壊後、一気に資産を失い、挙句の果てには高級車セルシオの盗難に合い、妻からは連日連夜責め苦に合い、生きた心地のしない毎日でした(笑)しかし、男一匹「転んでもただでは起きない、父から学んだ苦有り楽有り」の精神で再び自分自身を反省して浮上してきました。 |
院長が思う名医とは… 自分がされたいと思う治療をする事! |
今、私の様な半人前の男が言うのもおこがましいですが、今の医学界に不足していると感じる点は、「相手を思う気持ち」「病んでいるのはあくまで人間」という事を、医師が本当に自分の身内の如く接すれば、お互いのギクシャクした関係も少なくなると思います。 いかに日本一の医療技術と歌われていても、技術面と精神面の両面がバランスの取れた医師こそが世のいう名医と思います。 またまだ人生中ばの未熟者ですが、これからも患者さんに育てて頂く姿勢を取り、「相手の立場に立つ・目線でみる心構え」を持ち続け、人の話を真摯に受け止め、「おごらず」「あせらず」「あなどらず」をモットーに一人一人を大切にしていきたいと思います。 患者さんに育てて頂くという感謝の念をもち続け これからも当院をかわいがって頂ければ幸いです。
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♥ 心のつながりを大切にしています! 宜しくお願い致します。 無料電話予約 0066-9754-249864(初診時のみ) |