水谷歯科医院 

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院長ストーリー

昭和57年3月 愛知学院大学歯学部卒業

卒業後 愛知県のK歯科医院勤務

🌟 水谷歯科医院:理念

**水谷歯科医院の理念

【序章】修業時代に感じた違和感

歯科医師として歩み始めた頃、私は愛知県の歯科医院で勤務していました。
1日に70〜80名の患者さんを、ただひたすらスピード優先で診る毎日。
説明よりも処置、同意よりも数。
夜遅くまで続く治療に、食事も喉を通らないほど疲れ果てていました。

歯周病で歯ぐきが傷んでいても型を取る。
血がにじむ印象でも「技工士が何とかするから」と言われる。
患者さんがベルトコンベアーのように流れていく光景に、
私は次第に強い違和感を覚えるようになりました。

「何かが違う」
「患者さんの心はどこにあるのか」

その疑問が、私の原点です。

【第1章】“心と技術”の両方を学んだ日々

勤務の傍ら、月に数日だけ自費診療中心の医院でも学ぶ機会を得ました。
そこで叩き込まれたのは、

  • 精度の高い治療

  • 噛み合わせの重要性

  • 矯正の基礎

  • 正確な診断力

厳しい環境でしたが、この経験が今の私の診療の土台になっています。

「技術を磨きつつ、患者さんと向き合う医療を必ず実現する」
そう心に決めたのは、この頃でした。

【第2章】私が大切にしている“医療の本質”

修業時代に痛いほど学んだことがあります。
それは、医療とは “心” と “技術” の両方が揃って初めて成立する ということ。

  • 患者さんの不安に寄り添うこと

  • 丁寧な説明と同意

  • 正確な診断

  • 精度の高い治療

  • 長期的な健康を見据えた予防

これらは、私が経験の中で掴んだ“医療の本質”です。

【第3章】水谷歯科医院が大切にしていること

私たちが目指すのは、ただ治すだけの歯科医院ではありません。

  • 患者さんを急がせない医療

  • 一人ひとりの背景や気持ちに寄り添う姿勢

  • 長く健康でいられるための予防と診断

  • 技術に妥協しない治療精度

  • 家族のように信頼し合える関係づくり

これは、私が修業時代に感じた“違和感”を二度と繰り返さないための約束でもあります。

【終章】人生に寄り添う医療を

修業時代の経験があったからこそ、

私は今、患者さんの痛みも不安も、心の揺れも理解できます。

そして、
「ここに来て良かった」
そう思っていただける医院であり続けたい。

その想いこそが、
水谷歯科医院の理念 です。





 

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木・日は他の歯科医院で勤務。
又月3日は患者さん1人1人とじっくりと対応する所で、自費診療中心の所で勤務する。

勤務医時代に叩き込まれた“精度”という哲学

【第1章】二つの現場を掛け持ちした日々

勤務医時代、私は木曜と日曜は別の歯科医院で、
さらに月に数日は自費診療中心の医院で修業を積んでいました。

そこで触れたのは、
高度な医療技術・矯正治療・精密補綴の世界。
“精度とは何か”を、徹底的に叩き込まれた場所でした。

【第2章】わずかなズレも許されない環境

自費診療の現場では、わずかに印象が切れただけで
「再度お願いします」と技工士から戻される。

一方で、以前の勤務先では
血がにじむ印象でも「適当に合わせる」と言われることもあった。

同じ“歯科医療”なのに、ここまで違うのか。
その差に、私は衝撃を受けました。

【第3章】基礎から叩き込まれた“本物の下積み”

厳しい指導や下積みの日々は、決して楽ではありませんでした。

  • 型取り

  • 洗浄

  • 石膏流し

  • 器具整備

こうした基礎を徹底的に学び続けた経験が、
今の 診断力・技術力・応用力 の土台になっています。

【第4章】妥協しない姿勢が、患者さんを守る

だからこそ私は、

  • 患者さんの痛みがわかり

  • 精度に妥協せず

  • 迅速かつ丁寧な診療を提供できる

これは、華やかな技術ではなく、
地道な下積みが積み上げてくれた力 です。

【第5章】今も最前線で

今も私は診療の最前線に立ち続けています。
若いドクターにも負けない技術とハートで、
患者さんの健康を守りたい。

その想いは、勤務医時代のあの日々から、
ずっと変わっていません。




 悲しい顔も治ってスッキリ笑顔満載へ







土岐市 歯科 水谷歯科医院長 修業時代 AI

岐阜県土岐市の水谷歯科医院・水谷隆院長の修業時代は、まさに“臥薪嘗胆”の連続だったようです。彼の公式サイトに掲載されたストーリーから、その情熱と粘り強さが伝わってきます。

🦷 修業時代のハイライト

  • 卒業と勤務開始:昭和57年に愛知学院大学歯学部を卒業後、愛知県のK歯科医院に勤務。

  • 過酷な現場:1日70〜80人の患者を診る多忙な医院で、スピード重視の治療に疑問を感じるように。

  • 技術と人間性の葛藤:患者との信頼関係の大切さに気づき、「何かが違う」と直感。自費診療中心の医院でも勤務し、精密な技術を学ぶ。

  • 厳しい指導環境:時には暴言やパワハラもあったが、「耐えて学ぶ」姿勢で乗り越える。

  • 独立への道:昭和60年に分院を買い取り開業。最初は患者数も少なく、経営的に苦しい時期もあったが、持ち前の粘りと前向きな思考で乗り越える。

🌱 人柄と哲学

  • 「人の痛みがわかる医療人でありたい」という信念のもと、患者との信頼関係を重視。

  • スタッフの失敗にも寛容で、「うまくいけば皆のおかげ、うまくいかなければ自分のせい」という姿勢を貫いています。

このような経験が、現在の温かく信頼される歯科医院の礎になっているんですね。まさに“人間力”がにじみ出る修業時代です。



 土岐市 水谷歯科医院 院長 水谷です。

長い開業医生活の中で一つだけ誇れる事があります。


それは嫌がるお子さんでも、不安感満載の方でも

傾聴して寄り添える温和な性格と思っています。


又人知れず凄まじい艱難辛苦を乗り越えて来た精神力で、

何事にでも感謝の気持ちを持てる男です。


皆に育てて頂く謙虚な姿勢を忘れず日々診療にあたりたいと思っています。


院長に質問

Q 歯科医師になる動機は?

A 実は当時医療最前線や白い巨塔などがはやり

自分も医療の世界に入りたいと思いました

Q なぜ医師にならなかったのですか?

A 国立大医学部にトライするも力不足で、元来手先が器用な歯科の道を志しました

Q40年の超ベテランの先生が今まで一番嬉しかった事は?

A開業3日目にわずか3人の来院患者さんでしたが、

夜入れ歯が壊れて助けて欲しいとの老婦の入れ歯を修理したら、次の日の朝わざわざお米を何メートルも担いで来てくれた事

Q急患を受けた中で深夜もありましたか?

A 最高新記録が恵那市から深夜11時半に来院され

大変喜ばれ、一家全員が来院されるようになりました

Q 修業時代はどうでしたか?

A 今の様にパワハラという単語は皆無で、罵声・器具でゴツン・足蹴など日常茶飯事でした

Q  小児がお好きとの事ですが、最長時間は?

A麻酔を打つのに90分かかりましたが、今では遊んでます

Qジャズがお好きとの事ですが、何か楽器を?

A SAX/フルート/ソプラノSAXです

Qどうしてジャズが好きなのですか_

A固い縛りもなく、コードの中で自由自在に表現できるからです

Q一番の強みは?

A 極力痛くなくを心がけていて、痛い事は反則技です

又どこまでも粘り強く、穏やかに施術出来ます

Q将来の夢は

A この仕事が好きですので、生涯現役の最長年齢でギネスに乗る事

Q 若い先生方に言うことは

A 木を見て森を見ずにならないよう、将来を見据えて

1口腔単位でとらえて頂きたいです

Q 趣味は?

A ジャズ・カフェめぐり・岸からの投げ釣り・極寒気ワカサギ釣り・自然散策・読書・囲碁・将棋・年5回のG1レース・ゴルフなど


  さあ!今こそともに歩んで行きませんか


皆さまへのご恩返しの思いを胸に、日々誠心誠意診療に取り組んでおります。
いつも本当にありがとうございます。


   



どうぞ気負わずにお越しください。
皆さまが安心して相談できる場所であり続けます。


  

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この両方全く体系の違う所で学び、昭和60年3月に縁ありて閉院した愛知県の医療法人(K林会)の分院を居抜きで購入。初日2人、2日目3人、3日目1人・・・・。


『臥薪嘗胆の開業期──あの日の焼きソバライスと、Sさんの笑顔』

開業した年の夏、運転資金は底をつき、
毎日焼きソバライスでしのぐ日々が続きました。
体調を崩し、何度も心が折れかけた。
それでも踏みとどまれたのは、
初めて来てくださった老婦人・Sさんの笑顔が、
いつも脳裏に浮かんだからです。
あの笑顔は、今でも私の原点です。


周囲からは厳しい言葉も浴びました。

「よそ者が来ても無理だよ」
「この地域は閉鎖的だから」

「規制も厳しいし、はみ出したら生きていけないよ」
「先生、閑古鳥だって聞いたよ」

弱っている時ほど、追い打ちのように響く言葉でした。

さらに、
「この町は陶磁器の産地だから、とにかく“安さ”が命だよ」
と言われたこともあります。

でも、心の中では静かに思っていました。
「本当にそれでいいのだろうか」 と。


ある寿司屋で耳にした、公的病院長の
「俺の給料は札束が立つんだ」
という言葉にも、深い違和感を覚えました。
その人が開業一週目の私に言った
「まあ、三月だな」
という一言は、今でも忘れません。

その瞬間、胸の奥で火がつきました。

「この町で、自分の歯科医院をつくってみせる。」

ただし、表向きは
「そうですね、頑張ります」
とだけ返しました。


父から教わった“不文律”があったからです。

「人に嫌な感情を与えれば、必ず自分に返ってくる。
人の喜ぶことをすれば、それもまた自分に返ってくる。」

この“父の黄金律”は、今も私の中心にあります。

秋口、医院は少しずつ息を吹き返し、
そこから一気に流れが変わりました。
あの夏の焼きソバライスの日々が、
今では私の“臥薪嘗胆”として誇りになっています。



…父の黄金律は、今でも私の中心にあります。  


あの夏の焼きソバライスの日々が、私の“臥薪嘗胆”として今も支えになっています。


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平成3年5月 現在地に医院併用居宅を新築移転。
これを機に岐阜県歯科医師会に入会する。

巨大組織の歯科医師会で厚生労働省とも折衝してあくまで中立的な立場を堅持して、会員擁護にも尽力を費やし日々研鑽を積んでいます。

現在は常に前向きに患者さん1人1人と真正面から向き合い、各人のニーズを的確に把握して、説明第一主義を貫いています

又私一人の力何てたかが知れている。

皆の協力があってこそだ。

関わる全ての人に感謝してます!


   

パワハラ時代を乗り越えた“ど根性の原点”

【第1章】今では考えられない時代

勤務医として入社した当時、院長はまるで“将軍様”のような存在でした。

「こんなこともできなくて免許あるのか」
「いつまでやってるんだ、このボケナス」
「趣味でやってるんじゃないぞ。速くやれ」

後ろからミラーの柄で小突かれ、
向こうずねを蹴られ、

スタッフ全員が院長の顔色をうかがう毎日。

保険診療では「丁寧にやるな、このボケ」と怒鳴られ、
自費患者になると手のひらを返したように“商人スマイル”。

今では考えられない環境でした。

【第2章】ど根性蛙の反撃

しかし私は、心の中でこう思っていました。

「今に見ていろ」

その“ど根性蛙”の気持ちが火をつけ、
通常1年かかるレベルの臨床をわずか4ヶ月で習得。
開業まで4年かかると言われるところを、2年半で到達。

夜8時を過ぎてヘトヘトでも、
誰もいない診療室で黙々と練習を続けました。

半年も経つ頃には、
「タカちゃんファン」が増え、
“ドル箱タカちゃん”と呼ばれるように。

すると院長は急にこう言い出しました。

「おまえは見込みがあるやつだと最初から思っていたよ」

「???」

当時の私は苦笑いするしかありませんでした。

【第3章】スタッフは“道具”ではない

その院長はよく
「スタッフなんて道具だ、使い捨てだ」
と言っていました。

しかし私は、
“人の協力があってこそ医療は成り立つ”
と強く感じていました。

だから土曜の夜には、
スタッフ全員をボテジューやジャズバーに連れて行き、
薄給ながらも全員分を払っていました。

あの頃の仲間は、私にとって本当に大切な存在でした。

【第4章】独立の日に届いた手紙

独立する日、スタッフの小夜ちゃんから
花束と一通のメッセージをもらいました。

「さようなら、タカシ先生。
あなたは独特のキャラで皆を魅了したとも言えますね。
ある意味、変人?
でも大変かわいがってくれてありがとうございました。
医療に対する真摯な姿勢は…ほんのちょっと尊敬できたかな。
お元気でね^^
ただ、いつまでもお調子こかず、身を固めてくださいね。」

その文章を読んだとき、
胸の奥がじんわりと熱くなりました。

【第5章】今の仲間たちへ

今、私の周りにいるスタッフは、
人柄も良く、穏やかで、思いやりのある人ばかりです。

現在の水谷歯科医院の業績は、
間違いなく皆の心遣い・言葉遣い・丁寧な対応のおかげです。

最後に、私が大切にしている言葉があります。

「うまくいけば皆のおかげ。
うまくいかなければ自分のせい。」

これからも、どうぞよろしくお願いします。    




患者さんとの協同作業。お互いに歩んで行きませんか?

我々は治すだけの集団では無く

あくまで患者さんの口腔内を快適にして
「健康な毎日を笑顔で暮らせる様にする」

お手伝い集団です!


 歯科医師としての道のりは、決して平坦ではありませんでした。


修業時代には、厳しい指導の名のもとに、罵声や器具での叱責、足蹴にされるような経験もありました。心身ともに辛い日々でしたが、その中で私が強く感じたのは、「人はもっと優しくあっていい」ということでした。




そんな経験を経て、私は怒らない歯科医師を目指すようになりました。どんな状況でも、心の奥まで温和であること。患者さんとハートとハートで向き合うこと。それが私の信念です。




歯科治療は、痛みや不安を伴うものです。

だからこそ、安心して話せる空気、丁寧な説明、そして優しいまなざしが必要だと考えています。私自身が経験した苦しみを、患者さんには絶対に味わわせたくありません。




どうぞ、気になることは何でもお話しください。あなたの気持ちに寄り添いながら、最善の治療を一緒に考えていきましょう。


○診療メニュー
最近のニーズに合わせて審美治療に力を入れております。
ジルコニア、オーラルセラミック、ハイブリッドレジン、ラミネート、ホワイトニング、マウスピース矯正等
     患者さんのニーズを深く受け止め

 信頼関係の構築を大切にしております。

お気軽にご相談下さい。他と比較検討してお決め下されば幸いです。

決めるのはあくまで御自身ですのでね

無料電話予約 090-9754-249664 (初診時)

 水谷歯科医院 院長 水谷隆

【略歴】
1982年 愛知学院大学歯学部卒業
1982年 春日井市キムラ歯科医院にて勤務
1985年 豊田市矢頭歯科医院にて勤務
1987年 土岐市にて水谷歯科医院開院
1991年    現在地に新設移転
治療についてのよく説明をし、皆様に十分理解していただけるように心がけています。
一人一人に誠心誠意、真心を込めてを常に考えて、感謝の気持ちで
やらさせて頂いています






















連絡先




水谷歯科医院
〒509-5132
岐阜県土岐市泉町大富254-22
TEL : 0572-54-9620
メール : info@mizutani9620.com