トラブルメーカーが医局を変えた。良くも悪くもそんな出来事です。 私が所属していた医局では週一回カンファレンスがありました。いつも夕方6時スタートで、解散が9時になることもザラ。皆が不満に思いつつも、誰も教授に意見できない状況でした。 そうした職場環境が改善されないまま何年も経過した頃、とある女性医師が入局しました。 新人研修医の「ある行動」に教授が激怒 それだけでは収まらず… 物事をはっきりと言うタイプの彼女、入局直後のカンファレンスで存在感を示します。正確に言うと、カンファレンスに「存在」はしなかったのですが…。 彼女は「正当な理由なく残業はしません!」と言い残して、カンファレンスを欠席したのです。もちろん教授は激怒し、後日呼び出しとなったのですが、それでも彼女は負けません。 今度は労働基準監督署に通報し、医局とバチバチの喧嘩をしたのです。その結果、根負けしたのは医局のほうでした。業務改善命令を出されてはさすがの教授も観念し、カンファレンスは午後3時スタートとなったのです。 一時はどうなることやら、と医局員達は肝を冷やしておりましたが、結果的にはカンファレンスが早く終わることになり、一同安堵しました。 さて、件の新人研修医はというと、年度の途中で関連病院に異動となりました。短い期間ではありましたが、物凄く大きな爪痕を残したのでありました。(引用) この件について、全くの私の個人的見解ですので、不快感を感じたらお詫び申し上げます。プロフェッサーはどこの大学でも絶対権力と実力をお持ちの崇高なお方です。悪しき風習とまでは言えないにしても、ある意味不合理な事も、研修医(1年生)はただただ従って来たのが、事実です。 私もある一件で、規制破り?ともいえる提案は悉く私の暴走として、制御されて来ましたが、現在の実情は、複数の勤務医、分院展開等、私の提案通りになっています。先陣を切った私は別の意味で息の根を止められ、筆舌に尽くし難い、苦難の道を家族にまで強いられてしまいました。丁稚奉公の時はあらゆる不合理も受け止めて、人間的にも成長する点は確かにありますが、 旧来は00だたら我慢せよ・・・の一点張りでは組織の成長もありません。あくまでバランスが大切で、トップも部下のいう改革路線に耳を傾けて、少しづつ制限解除のコロナ旋風のようにする必要があるとも言えましょう。一気に解除は大混乱を与てしまいます。 暴れん坊、問題児と言われる人は案外将来展望を見て、人より3歩先を歩んでいるのかも知れませんね・・・
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