妻への感謝 |
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今日は妻が娘に対しての思いを学校から提出するように言われた時の文章を投稿いたします。 [我が娘] 結婚してからずっと家業の歯科医院に従事していた私は、娘OOと妊娠している間も休む事無く終日仕事に出ていた。 OOの出産予定日がO月OO日。仕事に復帰するのを逆算して、[今日は産ませて欲しい!] などとかなり無理な注文を産婦人科の医師にお願いし、出産したほどの忙しさだった。 生まれたばかりのOOをクーハンに入れ、従業員の控え室に置いて仕事をしたり、幼稚園から帰宅した彼女の兄に[泣いたら教えてね]と二人を自宅部分の3階に残し勤務していた。従業員を募集し、入社させるのだが、見た目よりきつい仕事はなかなかつずく人間がおらず、スムーズさに欠ける治療では、患者さんに迷惑をかけてしまうと言う私の気持ち(エゴかもしれない)から、従業員や患者さんより幼くはあったが我が子に信頼と甘えを託し、仕事中心の生活になってしまっていた。 私は、人様の様に両手で温めながら子供を育てていない. その事は、我が子には大変申し訳ないと夫と何度とけんかになりながら話しあったことか・・・ 結局誰よりも、小さいながらも子供の強さに甘えるより仕方の無い親だった。 一番辛い思い出は、OOが4歳の頃だったと思う。おたふく風邪にかかり、あごも首も無くなるほど 腫れ上がってしまった。そんな時にも運悪く、同じ時期に従業員が体調を崩し、数日欠勤がつずいてしまった。 昼休みが終わり午後の診療の為に診療室に戻らなくてはならない。 私はOOのお気に入りのビデオ[となりのトトロ]をセットし、[お母さん、仕事にいってくるね!] と声をかけた。 すると彼女は、すもうとりの様な顔で、 [うん、お母さん仕事がんばってねー] と小さな手を振って私を送り出してくれた。 熱こそないものの、痛みもあっただろうに、けなげに母をがんばって!と送り出した我が子に ありがとう!と笑顔で答えたものの、3階部分から診療室までの階段を下りながら涙が止まらなかったのを今でもはっきりと覚えている 我が子に申し訳ないという涙と独りで可哀想という涙とこんな思いまでして働かなくてはならないのかという涙だった。 そんな月日も長いようで早く過ぎ去り、彼女はもう小学校を卒業する。 本人がいつも暖かい胸に抱きしめられながら育てられなかったのが寂しかったかどうか本心の程は解らないが、明るく体も丈夫で、何でも頼ると言うことは無い自立心のある子に育ってくれたと思う。 又家事に充分手が回らない部分を私は子供たちに助けてもらった。 OOも幼稚園入園から自分と兄の上靴あらいから始まりタオルなどの洗濯乾し、雑巾がけと幼稚園、小学校の休みの日は、必ず何か一つお手伝いをすることにしてある。 小さいおぼつかない手でする仕事なので多少は汚い仕上がりだったりはしたが、必ずその約束は守られ今につずいている。 受験が終わり、時間的にも精神的にも余裕が出来た彼女に私は OOデイを提案した。これは1週間に一度、なんでもいいのでOOの出来る料理を作って家族にたべさせてくれる日である。 今のところサンドイッチやカレー、サラダというところだが、大人のなるまでに少しずつレパートリーを増やして行ってくれればと思っている。 今OOは小学校を卒業し花に例えるならばつぼみがほころびかけている状態であろうか? 精神的にも肉体的にも女性として開花し始める。 大切な青春の6年間をOOに過ごさせていただけることとなった。学校訪問、説明会、教室につるされた 体育館の着替えの衣服のかたずけの細かい指導を見て 今忘れかけられている事を貴校は、在学中に大につけ小につけご指導していただけるものと確信した。 吸収力の高い若いつぼみに恵みと厳しさとの雨を貴校に大いに期待し私は4月7日、我が娘と入学式の門をくぐりたいと思っている。 これを見るに自分ひとりで・・などというおごりは人間をだめにするし 家族の協力、妻の立場でのささえ、人とのまじわりの大切さ 開業医とは病気を治す前に人の痛みが解らねばと・・・ これは20年前の妻の投稿です 本当に妻には感謝です。。。 |
2023年12月6日(水) |
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